イラスト/正子公也 もしも、あの日、あの人と出会わなかったら、僕の人生はどうなっていただろう。
かえりみて、人は誰もが目に見えない運命の不思議さを思います。そして、この運命的出会いは、なにも人に限ったことではありません。
もしも、あの日、あの本と出会わなかったら・・・。
二十数年前、十二才の少年が田舎の小さな本屋で偶然目にした一冊の本。初めて会ったはずなのに、なんだか、とても懐かしく感じたのです。「水滸伝」と題されたその本の帯には、白魚のような若者が、黒い大男と水中で戦っている絵が装され、『悪徳官僚をこらしめんと、梁山泊に勢揃いした一〇八人の英雄豪傑の痛快無類な活躍を描く!』という一文が添えられていました。
その夜、少年の心は、ゆめうつつをさまよい、無限に広がる異国の大陸へ飛んで行きました。そこには、海かと見まごう大河が滔々と流れ、耳を澄ませば、樹木の精霊のささやきが聞こえてくるのでした。冷たい風が頬をなでて行きます。少年はそこでさまざまな人と出会いました。九匹の龍の刺青をした若者、六十二斤の禅杖を操る花羅漢、虎を殴り殺した豪傑。或ものは雲に乗り龍を呼び、或ものは、七日七晩、水に潜る特技を持ち、又、或ものは日に八百里を走る。砲術のエキスパート、弓の名人、武芸の達人、天才軍略家、貴人に色男、大富豪からこそ泥まで、個性豊かな漢たち。彼らは皆、奇妙なほど我欲に乏しく、粋で、まっすぐで、素敵な大人達でした。彼らと共に泣き、笑い、少年は毎日が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。しかし、どんなに長い物語にも終わりがあります。その結末はあまりにも悲しいものでした。それでも少年は、又、彼らに会うために、幾度も幾度もその本を読みつづけました。そのうち彼らは少年の心の中に棲みついてしまったのです。
故郷を離れ、都会の片隅で追われるように日々を過ごし、小市民的快楽に虚しさを感じながらも、少しずつずるくなっていく大人の私は、時々、少年のことを懐かしく思い出すのです。少年の傍らには彼らが立っています。「よお!兄弟」彼らは私に、親しげに呼びかけるのです。「こっちへ来て、一杯やらねえか」
遠い昔、少年が踏みしめた地面には足跡ひとつなく、あの時と同じように、空はどこまでも高く、青く、道のない平原の若草色が無限に続いています。
もう一度、彼らに会わねばならぬ。あの時見たものをこの目で確かめ、そして誰かに伝えねばならぬ。誰のためでもない、僕自信のために。そんな気がして、私は少しずつ旅の支度を始めたのです。そろそろよいでしょう。もうすぐ出発です。長い旅になりそうです。辿り着けないかもしれません。でも、きっと何か大切なものが見つかる気がするのです。
どうです?よかったらあなたも、ご一緒しませんか?魯智深が、武松が、林冲が、史進が、楊志が、みながあなたを待っています。
さあ、行きましょう。
「いざッ!梁山泊へ!」
テキスト / 森下翠 水滸伝 ~水のほとりの物語~ かつて、中国山東の地、梁山という山の麓には、茫々たる湖沼が広がっていた。
大小の水路が複雑に入り組み、高い葦が生い茂って、あたかも迷路のように他所者をよせつけない。
梁山のふもとの水たまり―梁山泊。
いつの頃からか、そこには世を逃れてきた男たちが雲集するようになる。
北宋末には、宋江と三十六人の男たちが腐敗した政治に反旗を翻し、この梁山泊にたてこもった。
その反乱はやがて鎮圧されてしまうが、彼らに反権力の夢を託した民衆は、長い時をかけて梁山泊の物語を語り継ぎ、育て、熟成させていく。
梁山泊の物語は、街頭の講談として語られ始め、五百年の歳月をかけて一編の長編小説として整備された。
筋立ては、百八人の英雄豪傑が、やむにやまれぬ事情から梁山泊に集結し、貪官汚吏を相手に縦横無尽に暴れまわるというものだ。
登場するのは、義侠心から悪漢を殺し、お尋ね者となる豪傑、冤罪に陥れられ逃亡する武官、権力者の横暴に抗い罪人となった村人や、その他、書生、道士、猟師や船頭、盗賊から良家の令嬢まで、いずれも武勇、智略、一芸に秀でた好漢たち。悪漢を斬り、猛虎を殺し、命をかけて友を助ける。また一方では、酒を飲んでは失敗し、美女に騙され、しばしば命を危うくする。
中国民衆は彼らの活躍に快哉を叫び、危機には憂い、百八人の好漢たちは身近な英雄として現在でも愛され続けている。
『水滸伝』は、『三国志演義』や『紅楼夢』と並ぶ中国古典文学の名著であり、なおかつ英雄でも貴顕でもない人々のための、自由と抵抗の書なのである。
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